日御碕のクルーズ船を使ったツアーのガイド研修(スキルアップ研修)を10月16日(金)に行いました。

参加は約30名で、日御碕の宇龍漁港と大社漁港の間の海からの景色について、
すでにクルーズ船ガイドを行なっている出雲国ジオガイドの会副会長の渡邊一枝さんが
講師となって、座学と実地研修を行いました。

日御碕ー大社クルーズでは、いくつか見所があります。そのうちの2〜3ヵ所を紹介します。

上記の最初の写真は、礫島を間近に眺めていますが、この島は、礫岩とも呼ばれ、国譲り神話に登場するタケミカヅチとタケミナカタの2神が稲佐の浜で力比べをして、岩を投げ合ったものが積み上がったもの。という伝承があります。

次の写真は、礫島の西にある赤島です。釣り人がいますが、その他に岩の上に杭が2つ見えます。この杭は、明治時代に大阪商船(株)の汽船がこの赤島に係留されて、灯油を下ろした場所と言われています。灯油は近くの黒田浜に上げられて、まだ、電気の無い頃の日御碕灯台では、大小の円形燈心綿糸を同心円状に4列配置した”火口”で灯油を燃焼させ光源としていたそうです。

 

鰐淵穴(わにぶちあな、または鰐の口と呼ばれています)

大社漁港から初めてのトンネル「新笹子トンネル」の西側に、海から見ると大きな海食洞があります。ここで、漁師に釣り上げられたワニ(サメ)の腹から、一枚の皿が出て来ました。その皿は、ここから三里ほどの出雲北山の山中にある鰐淵寺の皿であったことから、この穴は鰐淵寺に繋がっていると信じられている場所です。

明治二十四年、小泉八雲は稲佐の浜から漁船に乗り込み、二人の若い漁師が櫓を漕いで、この岩礁を見学しながら、日御碕神社参拝を果たしています。その一節。小泉八雲著「日本瞥見記・上 第12章日ノ御碕」より。

三角につきでた奇妙な小島のそばを通る、岩の横腹には、水面のすぐ下から、海藻が苔のようにみっしりと生えている。こういう形をした多角形の岩塊を、漁師たちは「カメの甲岩」と呼んでいる。大昔、大国主神がここの海へきて、力試しにここの玄武岩のかたまりを持ち上げて、それを海のむこうの三瓶目がけて投げつけたという言い伝えがある。

こうした魅力的な岩石海岸の風景を感動的にガイドできるようになりたいものです。当日は少々波がありましたが、参加者はその波に揺られて大自然が感じられて良かったとの感想がありました。

報告は以上です。