地殻変動のとどろきが聞こえそう

この「直立層」は、島根半島が「宍道褶曲帯」とよばれるほどの顕著な変形を受けたことを示す代表的な地質構造である。この地域は断層を伴った背斜構造を形成しており,この直立層は背斜構造の一部をなしている。変動の時期は,今からおよそ1500万年前の日本海の拡大が終わった頃の,西南本州弧が現在の場所に位置するようになったころとみられる。出雲国風土記には能呂志嶋とよばれていた。直立層の層理面には「義勇の碑」が刻まれている。

唯浦の直立層はダイナミックな大地の変動を感じられる場所である。漁港や近くの高台からも周囲を眺めてもらいたい。

唯浦漁港


唯浦の東側海岸


義勇の碑

直立層の岩肌に刻まれた義勇の碑には、悲しい歴史が刻まれている。

(以下、島根県漁港漁村の歴史文化財産の紹介より)

今から約90年前の大正元年(1912)12月27日の事です。塩津の26隻の漁船が漁に出たところ、午前10時頃から、地元で「潮巻き」と呼ぶ大あらしになりました。救援を求められた唯浦(現在の美保町)から4隻、釜浦から1隻、もどってきていた塩津の漁船のうち2隻が救援に出て、6隻の船を連れ帰る事ができました。2隻は自力で坂浦へと避難したのですが依然3隻が行方不明のままでした。

そのため唯浦の15人の青年たちは、疲労した体で昼食もとらないまま、再度救助に出発したのです。午後2時40分頃のことでした。このあと唯浦と塩津の2隻も続き、その船と行方不明の2隻は自力で海岸に戻ってきましたが、残り1隻と救助の15人はついに戻ることはありませんでした。

それから3年後の大正4年、唯浦天狗岩に「義勇」と刻まれた顕彰碑を建て、帰れなかった15人の青年たちを奉りました。昭和15年には教科書にもこの話がとりあげられたそうです。

唯浦漁港(出雲市美保町)へは、平田から県道232号を利用して向かいます。地元では美保町と呼ばれる地域となっています。唯浦漁港へは、途中から県道23号となり、2つのルートがありますが、ここでは、美保上町地区へ降りる道を示してあります。県道23号から別れる場所に、美保上町の看板があります。約1kmで唯浦漁港に付きますが、漁港内は駐車禁止です。また、漁港の入り口の下水マンホールの上も駐車禁止ですので、そのマンホールの横あたりに駐車してください。2台程度止められます。

以下の写真の右奥が漁港です。マンホールの左側手前の空きスペースに駐車ください。

唯浦漁港の前