出雲平野を潤す天井川

斐伊川は船通山に源を発し、流長153km、流域面積2070㎢の1級河川である。「たたら製鉄」を背景とした河川として有名である。「鉄穴流し」によって、全国でも稀な砂の天井川となったため、斐伊川の縁には「鯰の尾」と呼ばれる導水路が築かれている。また、古くから氾濫を繰り返してきた歴史があり、江戸時代の治水対策である「川違え(かわたがえ)」は、湖岸線を約5km前進させた。出雲国風土記には出雲大川と呼ばれ、西の「神門の水海」に注いでいた。アユやサケが遡上し、春先には材木が流されると記述されている。

万九千社(まくせのやしろ)

現在、万九千社は『出雲国風土記』出雲郷に記載される立虫社(現立虫神社)の境内に幣殿としてある。経緯は、斐伊川の中州にあった立虫神社が江戸時代始めに万九千社の境内に遷ったものである。旧暦10月26日、出雲大社などで神在月を過ごした神々が、万九千社で神議(かむはかり)の締めくくりと直会(なほらひ)を行って出雲を去ると伝わる。ご神体は磐座である。斐伊川の近くにあり、土手からもよく見える。

西谷墳墓群

斐伊川が出雲平野に流れ出す場所の西側丘陵に、弥生時代から奈良時代にかけて多数の墓が築かれた墳墓群である。特に弥生時代後期から終末期に築かれた6基の四隅突出型墳丘墓は日本最大級の規模があり、出雲を代表する権力者の墓として全国的に有名である。副葬品の中には、ガラス勾玉や管玉類などの貴重な装飾品や地元産の他、吉備や北陸系の土器を含む大量の土器があり、その力の大きさを示している。復元された墓の中には埋葬状況の展示がある。出雲弥生の森博物館が隣接してある。

斐伊川の土手は出雲路自転車道があったりで、斐伊川と出雲平野の雄大な風景を楽しめます。