蛇行河道に切り通し作る

日吉の切り通しは、1650(慶安3)年、村の大百姓、周藤彌兵衛家正によって始められた。意宇川の氾濫を防ぐため、約1400万年前の普通輝石角閃石デイサイト溶岩からなる細尾根を開削し、蛇行河道を短絡したものである。切り通しの開削により放棄された旧蛇行河道の地形が約1.7kmにわたって明瞭に残っている。大地の歴史と人の暮らし、自然災害とのつながりを物語るジオサイトである。

【カテゴリー】

〇南部丘陵山地エリア(ジオヘリテイジ)

・探訪サイト(ジオヘリテイジについて探訪し、学び、教育・研究活動をすることのできる地点)

熊野大社

『出雲国風土記』意宇郡条の神社項目の筆頭に、熊野大社と記される。主祭神はクマノノオオカミである。風土記には、近くの熊野山(現天狗山)に社ありと記されていて、山頂には巨石群からなる斎場があり、ここでは現在も元宮祭が執り行われている。境内の鑽火殿には、火鑚臼と火鑚杵が奉安されている。毎年十月の鑚火祭や出雲大社宮司(出雲国造)の就任時には、火継神事斎行の斎場となる。古来出雲国一宮としても知られている。

地図は国道432号から日吉の切り通しまでのおよそ350mのルートを示しています。周藤彌兵衛の像は、切り通しに向かって曲がる国道の反対側の道路下にあります。
未来の子供たちが現在の私たちと同じように、今の美しい自然環境を利用できるようにするためにも、著しい環境の改変につながるような動植物や岩石等の採取等の自然環境の破壊は厳に慎んでください