波多層(古浦層) 堆積期 22.5-16.6Ma ago(Ma ago :百万年前)

この頃、内陸部では陥没した盆地(沼など)が形成され、そこでは、デイサイト安山岩の火山活動がみられました。島根半島でも安山岩、デイサイトなどの活発な火山活動がありました。半島部の古浦層からは、タニシササノハガイなどの淡水の貝類の産出もみられることから湖沼の堆積環境であったことがわかります。また、樹木に珪酸分がしみこんだ珪化木もしばしば見つかります。

川合層(成相寺層) 堆積期 16.5-16Ma ago

この頃、陸地がさらに沈み海が侵入しはじめてきました。波多層のころ活発だった火山活動はほとんどみられません。この頃の淡水から汽水海水への変化はとても急です。規模の大きな盆地にたまっていた淡水が、急速に海水と入れ替わった可能性もあります。
また、この頃は暖流が流れ込んでおり、熱帯的な気候下にありマングローブの泥干潟には現在では熱帯の海にしか見られない、マングローブシジミセンニンガイなどの貝類、ビカリアなどの巻き貝が生息していました。

久利層(成相寺層) 堆積期 16-14.5 Ma ago

川合層のころからの海侵がさらに急速に進んでいきました。そして、深海化も進んでいったようです。また。海底では隆起・沈降が選択的に行われ、スランプ構造がしばしばみられます。
また、出雲・松江地域の海底では海底火山活動が活発におきていました。この頃は、日本海の拡大期であり、海は急速に深化しました。海底の泥の層では、小型のホタテ貝の仲間(ペッカムニシキ)やクモヒトデの仲間が群集をつくっていました。

大森層(牛切層) 堆積期 14.5-14 Ma ago

この頃、海侵はほぼ終わり逆に今まで、海だったところが陸になってきました。そして、陸では、安山岩デイサイト陸上火山活動が活発に行われていました。この火山活動に由来する砕屑物が北側の海にたまっていきました。その中で、より陸に近いところに堆積したものが来待層だと考えられます。沖合にあたる牛切層では多くの海底火山が噴出し火山砕屑物を含む多くのタービダイト層や水中火砕流堆積物が形成されました。この頃の化石から、暖流の影響はまだみられますが、寒流の影響も見られはじめるようになりました。この頃には、大型のサメパレオパラドキシアなども生息していました。

布志名層(古江層) 堆積期 14-12 Ma ago

この時期以降、海であった証拠がみられるのは、出雲・松江地域のみです。つまり、現在の海岸線とかなり近いことがわかります。陸域に近い海では布志名層が堆積しており、その北側では急に深くなり、そこに古江層が堆積していました。
布志名層の初期はタコブネなどを産出し暖流の影響は残っていましたが、その後寒流系の要素の強い貝類が多く産出してくるようになりました。また、この時期は火山活動のみられない平穏な時期でもあります。

斐川層・神西層(松江層) 堆積期 12-10 Ma ago

島根半島部が隆起し、そこに陸が生じてきました。半島と内陸部にはさまれた松江層の砂にすむ軟体動物の化石、汽水域の魚類やエビ、有孔虫の化石などが産出しています。
また、この地域ではアルカリ玄武岩の活動もさかんにおこりました。

 

出雲地域の新第三系の堆積は、日本海の拡大(日本列島の形成)と密接な関係にあります。

新生代古第三紀65ma ago~24ma agoの終わりのころ、大陸のはしの部分で大規模な沈降がおき湖沼などがつくられていきました。これが日本列島の原形部分にあたります。

波多層・古浦層の堆積した時期(19ma ago)には、今まで何とか大陸とつながっていた日本列島がさらに沈み海進が進みました。そのため、大陸側にあった湖や湖沼(淡水域)にも、海水が入り込んでくるようになりました。そして、日本列島は「くの字」に折れ曲がるようにして開いていきだんだんと日本海が拡大していきました。
大森層・牛切層が堆積しはじめた時期(14.5ma ago)には日本海の拡大もほぼ終わりました。特に西日本(島根県)は、以降あまり大きな変動がないようです。この頃の日本海は水深も深く出雲地方の沖も500m以上の水深があったようです。タービダイトによる
堆積が見られるのもこの頃です。南西(対馬側)からの暖流の流入がだんだんとへっていき、これより以降徐々に北からの寒流の影響を受けた生物が見られるようになってきます。
ma agoのころには、海退により東日本も現在に近い形になってきました。西日本は大陸とつながり、南西からの暖流の流入は見られないようです。
このように、出雲地域は、日本海の拡大にともなって起こった運動によって堆積した地層や火山活動によってつくられた地形だと言えるようです。