島根県での地震の状況
該当カテゴリ: 地震について
島根県内でおこる地震は主に内陸型の地震です。規模も大きいものはそれほど多くありません。
しかし、宍道湖周辺には、ほぼ東西に走るいくつかの活断層が知られています。そのなかでも宍道断層は確実度の高い活断層ですが、活動度はC級と推定されています。その他、県内の陸域には確実度の高い活断層は分布しませんが、1872年の浜田地震(M7.1)の際には、浜田付近の海岸(千畳敷など)が広く隆起するなどの地殻変動が見られたことから、この沖合に活断層が分布するとも考えられています
島根県の主な被害地震
西暦 (和暦) |
地域 | マグニチュード | 主な被害 |
880.11.12 (元慶4) |
出雲 (出雲地震) |
M7 | 神社やお寺、家屋が転倒した。 |
1026.6.16 (万寿3) |
石見(万寿の大津波) | M7.7(?) | 益田市の沖合にあった鴨島・鍋島・拍島の陥没、および海岸地域の隆起・沈降。高津川・益田川下流域および江川下流域に大津波が襲来、大被害を与えた。 |
1676.7.12 (延宝4) |
石見 | M6.5 | 津和野城などに被害が出る。死者7人、負傷者35人、住宅の倒壊(とうかい)133棟。 |
1748.6.18 (寛延1) |
松江 (雲州地震) |
不明 | 石壁がこわれ、橋が落ちた。 |
1778.2.14 (安永7) |
石見 | M6.5 | 那賀郡波佐村で石垣がこわれる。都茂村で落石。三隅川沿いで山崩れ、民家がこわれる。 |
1823.1.14 (文政5) |
石見 | 不明 | 美濃郡・那賀郡ではげしくゆれる。美濃村で住宅の倒壊(とうかい)10棟。 |
1835.3.12 (天保6) |
石見 | M5.5 | 石地蔵、石塔、墓石などが倒れる。 |
1854.12.24 (安政1) |
安政南海地震 | M8.4 | 出雲大社付近で住宅の倒壊(とうかい)150棟。 |
1859.1.5 (安政5) |
石見 | M6.2 | 那賀郡、美濃郡で震動が強く、波佐村、周布村、美濃村などで、家屋倒壊(とうかい)56棟。 |
1859.10.4 (安政6) |
石見 | M6~M6.5 | 那賀郡で震動が強く、周布村で家屋倒壊(とうかい)が数戸。 |
1872.3.14 (明治5) |
島根県西部(浜田地震) | M7.1 | 死者551人、負傷者582人、家屋全壊4506棟、家屋焼失230棟。海岸で海水の変動あり。 |
1904.6.6 (明治37) |
島根県東部 | M5.5 | 能義郡で堤防に亀裂、屋根から瓦が落ちる被害。 |
1914.5.25 (大正3) |
島根県東部 | M5.8 | 能義郡、八束郡でかべに亀裂。地面の亀裂、崩壊もおきる。玉造温泉では湧出量が3倍に。 |
1941.4.6 (昭和16) |
(山口県北西沖) | M6.2 | 山陰本線の築堤に亀裂。橋脚の沈下。 |
1946.12.21 (昭和21) |
南海地震 | M8 | 死者9人、負傷者16人、住宅全壊71棟。松江、塩冶、掛合で発光現象が見られる。 |
1950.8.22 (昭和25年) |
島根県中部 | M5.2 | 崖くずれや壁の亀裂、墓石の転倒などの被害。井戸水が白く濁る被害も出る。 |
1964.6.16 (昭和39) |
(新潟地震) | M7.5 | 床下浸水1棟、住宅一部破損38棟。水田の冠水被害は10ヘクタール。 |
1977.5.2 (昭和52) |
島根県中部 | M5.3 | 住宅被害108棟、非住宅被害129棟。道路破損59カ所。農地にも被害が出る。 |
1978.6.4 (昭和53) |
島根県中部 | M6.1 | 住宅半壊5棟、一部破損55棟。道路被害43カ所。農地被害26地区。 |
1983.5.26 (昭和58) |
(日本海中部地震) | M7.7 | 隠岐、島根半島を中心に負傷者5人。住宅床上浸水141棟、床下浸水277棟、漁船被害317隻。 |
1991.8.28 (平成3) |
島根県東部 | M5.9 | 鉄道の運休6、遅れ104。道路損壊1、通行止め2カ所。地鳴りがある。 |
1993.7.12 (平成5) |
(北海道南西沖地震) | M7.8 | 津波により隠岐、島根半島を中心に被害が出る。住宅床上浸水5棟、床下浸水78棟。漁船被害93隻。 |
2000.10.6 (平成12) |
(鳥取県西部地震) | M7.3 | 県東部で全半壊住宅613棟、一部損壊3584棟。道路の損害43カ所。松江城の石垣が崩落する。 |
2001.3.24 (平成13) |
(芸予地震) | M6.9 | 羽須美村、桜江町、三隅町で被害がでる。軽傷3名、住宅の一部破損10棟。 |
新編 日本被害地震総覧[増補改訂版416-1995]、地震の事典(朝倉)1987、松江気象台による資料 を参照しています。
石見畳が浦(国指定文化財)
浜田地震
1872(明治5)年3月14日夕方、浜田市を中心にマグニチュード7.1と推定される地震が発生し、死傷者1000人以上の大きな被害をもたらしました。この地震によって国分(こくぶ)海岸一帯が隆起し、石見畳ヶ浦は現在の姿となりました。
畳ケ浦は国分町唐鐘海岸にあって、約49,000m2の波食棚(はしょくほう)が広がり、高さ約25mの見事な礫岩(れきがん)・砂岩の海食崖(かいしょくがい)やいくつもの断層がみられます。
波食棚では縦横に走る小さなきれつがみられ、畳を敷きつめたようにみえることから「千畳敷(せんじょうじき)」とも呼ばます。
ここの砂岩層は、第3紀中期中新世(約1,600万年前)の地層で、多種類の貝化石や、鯨骨、生痕(せいこん)などの化石が含まれているます。また、千畳敷にはノジュールが平行に並んでお
り不思議な景観となっています。